岡山心霊スポット、切腹した鶴姫が眠る地、常山女軍の墓、歴史あるスポットで登山コース

今回は職場で「あそこはヤバい」と聞いて、常山城跡の女軍の墓に行ってきました!!

え~地図で確認したら完全に登山コース💦

もぅね、ヒーヒー歩きながら取材場所に向かいましたよ( ;∀;)

また、ここは歴史的な内容もあるので歴史好きな方がいっても良いし

登山が好きな人が行ってもいい

複数の目的を持って行ける場所

そんな意味では良い場所ではないでしょうか?

常山女軍の墓の概要

■概要
天正3年,小早川隆景が備中平定の余勢をかって,時の常山城主,上野肥前守高徳を攻めた。
当時,鶴姫その他34人の女軍がこれに応戦。
華々しくも最期をとげたが,この34柱の石碑が今も深い草露の中に眠っている
備中兵乱における常山合戦で、城主上野隆徳や城兵とともに城主の妻、鶴姫や侍女たちも甲冑に身を包み太刀や長刀を持って打ち出し、敵陣に突入し、最後は本丸に戻って自害して果てたという悲しいお話です。

■戦のキッカケ
鶴姫の父・三村家親は、備中(現、岡山県西部)全域に加え、備前(現、岡山県南東部)の一部をも手中に収めるほどの勢力を誇っていた。
しかし1566(永禄9)年、家親の勢力に危機感を覚えた備前国の大名・宇喜多直家(うきた なおいえ)の刺客によって、家親が興禅寺で銃殺されるという事件が起こった。
これが「備中兵乱」と呼ばれる争いの始まりである。

■戦況は劣勢~家族は次々と自害
宇喜多直家に報復すべく、家親の息子元親が2万2千の兵を率いて出陣するものの敗北。
反織田勢力を集める将軍足利義昭を介し、なんと毛利氏が家親を殺した宿敵、宇喜多直家と手を結んだのだ。
三村氏にとって、これは裏切りだった。
裏切りを見過ごせなかった鶴姫の兄・元親は、毛利氏に反旗を翻して織田信長と内通した。
これに危機感を覚えた毛利氏は、8万もの大軍を率いて出兵。
大軍で攻め込む毛利氏に対し、常山城はわずか兵200ほどしかいなかった。
城主・上野隆徳も自ら鉄砲を持って応戦するが落城は目前。
一族は自決を覚悟した。
1575(天正3)年6月7日
隆徳の57才の叔母が自決、15才の長男・高秀が後に続いた。
8才の次男は隆徳が自分のもとに引き寄せて刺し殺し、16才の妹は叔母を貫いた刀で胸を突いて死んだ。

■ここからが鶴姫の話
その様子を前に、鶴姫は自らの出陣を決意する。
男以上に勇敢な女だったとされる鶴姫は、黙ってこのまま自分も死ぬわけにはいかなかったのだ。
一族が次々と絶命していく中、鶴姫は鎧をまとい帯を締め、脇に刀を携えた。
我先にと後に続くのは34人の侍女たち。
鶴姫は敵将・乃美宗勝に一騎打ちを迫るが、宗勝は女性の相手はできないと言い引き下がる。
それでも追い続ける鶴姫に敵兵が斬りかかり、傷を負った鶴姫は女軍とともに城内に退いた。
夫の元に戻った鶴姫は、口に太刀をくわえそのまま身を伏せて絶命した。
これを見届けた上野隆徳も切腹。
記録には残っていないが、侍女たちも後を追って自害したのだろう。
常山城跡には今も隆徳と鶴姫の墓を取り囲むように、34人の女性たちも眠っている。

でも負けっぱなしは性に合わない鶴姫

一矢報いたくて敵将に戦い挑むも、やはり敗退してしまう

その後、自害することとなるが、いったいどんな心境だったのだろうか?

行き方

〒706-0132 岡山県玉野市用吉